翳りゆく夏2009年03月12日

翳りゆく夏 (講談社文庫)
赤井 三尋
講談社
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このところ諸般の事情により、休日だというのに家で過ごす時間が長く、また平日も飲みに出掛けたりせずに、おとなしくまっすぐ帰宅する日が多かった。そのおかげと言うべきか、家で本を読む時間が増え、このブログにもこうして「本」ネタを書く回数が増えている。
さてそんな中で読んだ本の1冊が、この「翳りゆく夏」。
あらすじは例によってここには書く気がないのだが、乱歩賞を取ったミステリー小説だ。裏切られることも多いが、権威ある賞を受賞しているということは、少なくとも選択する動機にはなる。

実はこの本に限ったことではないのだが、僕は小説を最初から数十ページ読み進めると、すぐに結末が知りたくなり、ついつい最後の数ページを先に読んでしまう癖がある。これはジャンルを問わず、この小説のようなミステリーでもそう。
「そんなんじゃ、せっかくのミステリーの醍醐味が・・・」と思われるかも知れない。確かにそうなのだが、最後の2,3ページで必ずしも犯人が特定できる小説ばかりでもないし、そのページだけでストーリー全体が知れてしまうわけでもない。
そもそも僕は「犯人は誰か?」とか「トリックは?」などの謎説きにはあまり興味がなく、ミステリーでも登場人物の絡み合い方とストーリーの展開の方に興味がある。つまりはドラマチックな設定になりやすいからミステリーを読むのが好きなのだ。だから「この最後のセリフを主人公に吐かせるに至る人間ドラマは?」とか「この最後のシーンに至るストーリーは?」といったことが気になってしまう。 
正統的なミステリーマニアからは怒られてしまいそうな読み方をしているのかもしれない。「邪道な読み方だ」と。もっとも僕がどう読もうと、別に文句を言われる筋合いでもないのだが。

長々とこの本に直接関係のないことを書いてしまったが、それはこの後のことが書きたかったから。

この本も同じようにラストの3ページを先に読んでしまった。そして、この3ページを読んだだけでつい感情移入して、なんだか目頭がジーンと熱くなってしまった。たった3ページでだ。
つまりはこのラスト3ページにたどり着きたいために、長いストーリーを追いかけるという感じでこの本を読んだわけだ。

小説には夢がなければいけないし、救いがなければ読む気にはなれないと僕は思っている。それがどんなに陰惨なテーマでも、あるいは悲しい物語だとしても。
この本のラスト3ページは、そんな救いをもたらせてくれる、そんな小説だった。