今年も遅い夏休み ― 2008年09月06日
今日から夏休み。今日の夕方の便で神奈川県の実家に帰省する。
札幌に来てから夏休みは9月に取るようになった。
お盆の時期は飛行機代は高いし、何より本州以西は夏真っ盛り。
せっかく涼しい札幌にいるというのに(と言ってもここ数年の札幌の夏は平均気温が高いようだけど)、わざわざ猛暑の地へ行こうという気にはなれない。
ただ去年、一昨年とタイミングが悪く悪天続き。その前の年も確か雨続きだったような気がする。
帰省中に「山へ行こう」と、山道具一式を持って行くのだが、毎年のように天候に恵まれず、ただの「お荷物」と化してしまう。
多少天気が悪いくらいなら山歩きに支障はないのだが、出発前から雨が降っていたりすると気持ちが萎える(出発してから降り出す雨は全然気にならないのだけど)。
で、結局天気の回復を測っている内に毎年休暇が終わってしまっていたのだ。
で、今年。
懲りずにまた今年もせっせとバックパックにパッキングを済ませ、準備万端。あとは天候をチェック・・・おお、今年は天気に恵まれそうだ。後は「どこの山へ行くか」だけど、これは移動中にでも考えることにしよう。
と言うわけで、今年は珍しく計画通りの遅い夏休みが過ごせそうな気がしている。
札幌に来てから夏休みは9月に取るようになった。
お盆の時期は飛行機代は高いし、何より本州以西は夏真っ盛り。
せっかく涼しい札幌にいるというのに(と言ってもここ数年の札幌の夏は平均気温が高いようだけど)、わざわざ猛暑の地へ行こうという気にはなれない。
ただ去年、一昨年とタイミングが悪く悪天続き。その前の年も確か雨続きだったような気がする。
帰省中に「山へ行こう」と、山道具一式を持って行くのだが、毎年のように天候に恵まれず、ただの「お荷物」と化してしまう。
多少天気が悪いくらいなら山歩きに支障はないのだが、出発前から雨が降っていたりすると気持ちが萎える(出発してから降り出す雨は全然気にならないのだけど)。
で、結局天気の回復を測っている内に毎年休暇が終わってしまっていたのだ。
で、今年。
懲りずにまた今年もせっせとバックパックにパッキングを済ませ、準備万端。あとは天候をチェック・・・おお、今年は天気に恵まれそうだ。後は「どこの山へ行くか」だけど、これは移動中にでも考えることにしよう。
と言うわけで、今年は珍しく計画通りの遅い夏休みが過ごせそうな気がしている。
丹沢を縦走(その1) ― 2008年09月08日

今回は夏休み中に泊まりがけで山へ行くことを考えていた。
どこの山へ行くかではなく、山中で1泊することが目的。日帰りならいつでも行けるのだが、泊まりだとそれなりに事前準備をしなくてはならないので、こうした機会でないとなかなか行けない。
週の真ん中に旧友たちと会う約束をしているので、「月火」もしくは「木金」のどちらか天候が安定する方で考えることにした。
当初は『北アルプスのどこか』と考えていた。
札幌に移り住むまでは、年に数回ペースで訪れていた山域だ。
ただ1泊で行くことは決して無理ではないが、なんとなく慌ただしい。それにどうせなら今まで歩いたことがない山へ行きたいと思うのだが、それらの山は1泊では厳しい。
次に南アルプス、そして八ヶ岳・・・結局色々と考えている内にだんだんと面倒になってきて、「久しぶりに近場の丹沢で1泊することにしよう」と落ち着いた。
僕は中学1年のときに山歩きを始め、高校時代にはワンダーフォーゲル部(軽登山部みたいなもの)に所属していたので、丹沢は言ってみればホームグランド。当時は、月に1回は丹沢のどこかを歩いていたと思う。
社会人になって、そこそこ遠くの山まで遠征できるようになってからは丹沢を訪れる頻度は減ったのだが、僕の山歩きにとっては原点とも言える山域だし、初めてテント泊を経験したのも(ただし丹沢は山中での幕営は禁止)、初めて小屋泊まりを経験したのも丹沢ということで、思い入れは深い。
と言うわけで、今回は原点に戻るような気分で久しぶりの丹沢へ出掛けることにした。
まずは小田急秦野駅からヤビツ峠までバスで。
平日だというのにバスは満員。こんな状況は北海道の山では考えられない・・・と言うか、北海道の場合、登山口まで行くバス自体がほとんどないのだけど。
ヤビツ峠からは丹沢一の人気縦走路の表尾根を歩き、これも人気の高い塔ノ岳(1491m)を越えて丹沢山(1567m)まで。丹沢山に建つ山小屋-みやま山荘に宿泊して、翌日は丹沢の主稜線を歩き、最高峰の蛭ヶ岳(1673m)を経由して西丹沢へ下るプランを考えている。
丹沢のまさにゴールデンコースとも言えるルートだが、久しぶりの山歩き、歩き始めて1時間経ってもなかなかペースが上がらない。普段なら最初の30分は辛いのだが、一息入れてからはペースが良くなるのだけど・・・。
札幌に移り住んでから、山までの距離はより近くなったというのに、山が遠くなってしまった。これは公共交通事情によるところが大きいのだけど、段々面倒と思うことが増えてきたからでもある。
小学校の遠足登山を除けば、プライベートな僕の初めての山歩きが、この表尾根だった。中学1年(13歳)のとき、同級生のお父さんに連れられてこの道を歩いた。これもまた僕の山歩きの原点。山歩きを楽しいと思い、今に至るまで続けるきっかけとなったルートだ。
それまでの僕の山歩きのイメージは『ひたすら登って山頂に辿り着き、今度はひたすら下るだけ』だったのだが、このときいくつものピークを超えて歩き、そのたびに新しい景色が広がるということを知って、新鮮で強烈な印象を受けたのだ。
以来、何度このルートを歩いたことだろう。20代の一時期、山から離れていたこともあったのだが、再び山歩きを再開して最初に歩いたのも、またこの表尾根だった。
そんな感慨にふけりながら歩き続けるが、やっぱりペースは上がらない・・・これが"年"ということなのかなぁ・・・トホホ。
鎖場(数m程度の岸壁に補助のため鎖を張ってある場所)も数か所あるし、やせ尾根や何度も繰り返されるアップダウンもある。まさに、山歩きの色んな要素がルート中にふんだんに散りばめられている。
それでも、一般的なコースタイム程度の時間で塔ノ岳へ到着。ここまでは登山客もそれなりに多い。一息入れて塔ノ岳を超えて丹沢山へ。
塔ノ岳を超えてからはまったく人の姿が無くなった。誰とすれ違うこともなく、誰に追いつかれることも追いつくこともなく、丹沢山へ到着。そして小屋もまた、今のところ、今日の泊まり客は僕一人のようだ。
缶ビール片手に、手持無沙汰?の小屋番の方と丹沢の話、山の話、小屋の話などをしているうちに、陽はいつの間にか傾いていた。
(その2へ続く)
どこの山へ行くかではなく、山中で1泊することが目的。日帰りならいつでも行けるのだが、泊まりだとそれなりに事前準備をしなくてはならないので、こうした機会でないとなかなか行けない。
週の真ん中に旧友たちと会う約束をしているので、「月火」もしくは「木金」のどちらか天候が安定する方で考えることにした。
当初は『北アルプスのどこか』と考えていた。
札幌に移り住むまでは、年に数回ペースで訪れていた山域だ。
ただ1泊で行くことは決して無理ではないが、なんとなく慌ただしい。それにどうせなら今まで歩いたことがない山へ行きたいと思うのだが、それらの山は1泊では厳しい。
次に南アルプス、そして八ヶ岳・・・結局色々と考えている内にだんだんと面倒になってきて、「久しぶりに近場の丹沢で1泊することにしよう」と落ち着いた。
僕は中学1年のときに山歩きを始め、高校時代にはワンダーフォーゲル部(軽登山部みたいなもの)に所属していたので、丹沢は言ってみればホームグランド。当時は、月に1回は丹沢のどこかを歩いていたと思う。
社会人になって、そこそこ遠くの山まで遠征できるようになってからは丹沢を訪れる頻度は減ったのだが、僕の山歩きにとっては原点とも言える山域だし、初めてテント泊を経験したのも(ただし丹沢は山中での幕営は禁止)、初めて小屋泊まりを経験したのも丹沢ということで、思い入れは深い。
と言うわけで、今回は原点に戻るような気分で久しぶりの丹沢へ出掛けることにした。
まずは小田急秦野駅からヤビツ峠までバスで。
平日だというのにバスは満員。こんな状況は北海道の山では考えられない・・・と言うか、北海道の場合、登山口まで行くバス自体がほとんどないのだけど。
ヤビツ峠からは丹沢一の人気縦走路の表尾根を歩き、これも人気の高い塔ノ岳(1491m)を越えて丹沢山(1567m)まで。丹沢山に建つ山小屋-みやま山荘に宿泊して、翌日は丹沢の主稜線を歩き、最高峰の蛭ヶ岳(1673m)を経由して西丹沢へ下るプランを考えている。
丹沢のまさにゴールデンコースとも言えるルートだが、久しぶりの山歩き、歩き始めて1時間経ってもなかなかペースが上がらない。普段なら最初の30分は辛いのだが、一息入れてからはペースが良くなるのだけど・・・。
札幌に移り住んでから、山までの距離はより近くなったというのに、山が遠くなってしまった。これは公共交通事情によるところが大きいのだけど、段々面倒と思うことが増えてきたからでもある。
小学校の遠足登山を除けば、プライベートな僕の初めての山歩きが、この表尾根だった。中学1年(13歳)のとき、同級生のお父さんに連れられてこの道を歩いた。これもまた僕の山歩きの原点。山歩きを楽しいと思い、今に至るまで続けるきっかけとなったルートだ。
それまでの僕の山歩きのイメージは『ひたすら登って山頂に辿り着き、今度はひたすら下るだけ』だったのだが、このときいくつものピークを超えて歩き、そのたびに新しい景色が広がるということを知って、新鮮で強烈な印象を受けたのだ。
以来、何度このルートを歩いたことだろう。20代の一時期、山から離れていたこともあったのだが、再び山歩きを再開して最初に歩いたのも、またこの表尾根だった。
そんな感慨にふけりながら歩き続けるが、やっぱりペースは上がらない・・・これが"年"ということなのかなぁ・・・トホホ。
鎖場(数m程度の岸壁に補助のため鎖を張ってある場所)も数か所あるし、やせ尾根や何度も繰り返されるアップダウンもある。まさに、山歩きの色んな要素がルート中にふんだんに散りばめられている。
それでも、一般的なコースタイム程度の時間で塔ノ岳へ到着。ここまでは登山客もそれなりに多い。一息入れて塔ノ岳を超えて丹沢山へ。
塔ノ岳を超えてからはまったく人の姿が無くなった。誰とすれ違うこともなく、誰に追いつかれることも追いつくこともなく、丹沢山へ到着。そして小屋もまた、今のところ、今日の泊まり客は僕一人のようだ。
缶ビール片手に、手持無沙汰?の小屋番の方と丹沢の話、山の話、小屋の話などをしているうちに、陽はいつの間にか傾いていた。
(その2へ続く)
丹沢を縦走(その2) ― 2008年09月09日

(その1より続く)
今までいろんな山小屋に泊まってきたけれど、客が僕一人と言うのは初めての経験だ。
二つの布団に三人とか、八畳間に十人以上詰め込まれて、たまらず布団を廊下に引きずり出して寝た経験は何度かあるけれど、『どこでも好きなところで寝てください。寒かったら好きなだけ布団使ってください』と言われたのは初めてだ。
小屋番の方は僕と年齢も近いためか、共通の話題も多く、楽しい会話が出来た。小屋でのいろんな経験やエピソードを教えてもらう。
『去年の秋はこの小屋に120人泊まった日がありましたよ』
そんな時に来なくて良かった。標高が2000mに満たない丹沢は、稜線に出ても気温が高く、暑い夏場は敬遠されがちで、小屋がガラガラの日も多いのだそうだ。逆に春と秋は丹沢のベストシーズンなので、100名山ハンターの登山客など、全国から人が集まり賑わうらしい。
『今日も暑かったでしょう?歩いていてしんどかったんじゃないですか?』
なるほど頑張っても頑張ってもペースが上がらなかったのは、単純に体力が落ちたとかだけではなく(もちろんそれもあるのだろうが)、暑さも原因の一つかも知れない。確かに今日は自分でも驚くほどの汗を掻いた一日だったのだ。
またまたビール片手に夕食をいただき、20時消灯(いつもは20時半頃消灯らしい)。その後はランプの常夜灯が灯る小屋に変わる。
『この小屋、以前出たことがあるんですよ・・・』
何かの話の流れで出た一言。出るって・・・あれのことですかぁ?・・・あのぉ、今日は客、僕一人なんですけどぉ・・・。
まあ実のところ、僕はあんまり幽霊とかに恐怖を感じない(信じていないわけではない)方なので、全然気にはならないんだけど。
さて一夜明け、4時半に起床。昨晩は21時頃までヘッドランプの明かりで文庫本を読んでいたが、すぐに眠くなりその後は夜中に寒くて一度目が覚めたのだが、ほぼグッスリ。たっぷりと7時間半も寝ていたわけだから自然に目も覚めた。
朝飯を頂き、しばらくお茶を頂きながら談笑。
『寒くはなかったですか?今日は天気も最高なので、お客さんもそれなりに来るんじゃないかなぁ』
小屋番と言えども、別に隠遁生活を好んで山に入っているわけではない(中にはそんな人もいるようだけど)。あまりに忙しいのも大変だろうが、お客が一人もいない夜は、やっぱりたまらなく下界が恋しくなるそうだ。しかも小屋からは、町の明かりが見えるのだから余計にだろう。ちょうど一昨日は盛大に雷が轟いていた夜で、そんな天候だから客は一人もいなかったらしい。雷も近かったので、落雷して引火なんてのが怖くて、思わず発電機を止めてヘッドランプで寂しい夜を過ごしていたのだそうだ。
でもそれだけに、いろんな人と出会うことができるということに喜びが感じられ、この仕事に充実感を持てる・・・思いっきりかいつまんでしまうと、そのようなお話をされていた。
さてこの先は計画では蛭ケ岳から檜洞丸を超えて西丹沢へ下山の予定だったのだが、昨日小屋に着いた時点で予定を変更して、昨日通過してきた塔ノ岳まで戻り、大倉尾根を下るルートに変更した。ただせっかく天気が良いのにもったいないかなぁ・・・結局朝起きてから蛭ケ岳をピストンすることに、またまた変更した。
『ピストンするならザック置いて行ったら』と言って頂いたが、サブザックの準備もないので、そのまま背負って歩き始めた・・・のだが、昨日にも増して今日は暑くなりそうな雰囲気・・・ということで、体力があるうちに手前の竜ケ馬場(これも山の名前)のあたりで引き返してきてしまった。
再び小屋に立ち寄って挨拶して行こうかと思ったのだが、なんとなく途中で引き返してきたことに気恥ずかしさを感じて、そのまま昨日歩いた道を引き返すことにしたのだった。
(と言うわけで、その3へ続く)
今までいろんな山小屋に泊まってきたけれど、客が僕一人と言うのは初めての経験だ。
二つの布団に三人とか、八畳間に十人以上詰め込まれて、たまらず布団を廊下に引きずり出して寝た経験は何度かあるけれど、『どこでも好きなところで寝てください。寒かったら好きなだけ布団使ってください』と言われたのは初めてだ。
小屋番の方は僕と年齢も近いためか、共通の話題も多く、楽しい会話が出来た。小屋でのいろんな経験やエピソードを教えてもらう。
『去年の秋はこの小屋に120人泊まった日がありましたよ』
そんな時に来なくて良かった。標高が2000mに満たない丹沢は、稜線に出ても気温が高く、暑い夏場は敬遠されがちで、小屋がガラガラの日も多いのだそうだ。逆に春と秋は丹沢のベストシーズンなので、100名山ハンターの登山客など、全国から人が集まり賑わうらしい。
『今日も暑かったでしょう?歩いていてしんどかったんじゃないですか?』
なるほど頑張っても頑張ってもペースが上がらなかったのは、単純に体力が落ちたとかだけではなく(もちろんそれもあるのだろうが)、暑さも原因の一つかも知れない。確かに今日は自分でも驚くほどの汗を掻いた一日だったのだ。
またまたビール片手に夕食をいただき、20時消灯(いつもは20時半頃消灯らしい)。その後はランプの常夜灯が灯る小屋に変わる。
『この小屋、以前出たことがあるんですよ・・・』
何かの話の流れで出た一言。出るって・・・あれのことですかぁ?・・・あのぉ、今日は客、僕一人なんですけどぉ・・・。
まあ実のところ、僕はあんまり幽霊とかに恐怖を感じない(信じていないわけではない)方なので、全然気にはならないんだけど。
さて一夜明け、4時半に起床。昨晩は21時頃までヘッドランプの明かりで文庫本を読んでいたが、すぐに眠くなりその後は夜中に寒くて一度目が覚めたのだが、ほぼグッスリ。たっぷりと7時間半も寝ていたわけだから自然に目も覚めた。
朝飯を頂き、しばらくお茶を頂きながら談笑。
『寒くはなかったですか?今日は天気も最高なので、お客さんもそれなりに来るんじゃないかなぁ』
小屋番と言えども、別に隠遁生活を好んで山に入っているわけではない(中にはそんな人もいるようだけど)。あまりに忙しいのも大変だろうが、お客が一人もいない夜は、やっぱりたまらなく下界が恋しくなるそうだ。しかも小屋からは、町の明かりが見えるのだから余計にだろう。ちょうど一昨日は盛大に雷が轟いていた夜で、そんな天候だから客は一人もいなかったらしい。雷も近かったので、落雷して引火なんてのが怖くて、思わず発電機を止めてヘッドランプで寂しい夜を過ごしていたのだそうだ。
でもそれだけに、いろんな人と出会うことができるということに喜びが感じられ、この仕事に充実感を持てる・・・思いっきりかいつまんでしまうと、そのようなお話をされていた。
さてこの先は計画では蛭ケ岳から檜洞丸を超えて西丹沢へ下山の予定だったのだが、昨日小屋に着いた時点で予定を変更して、昨日通過してきた塔ノ岳まで戻り、大倉尾根を下るルートに変更した。ただせっかく天気が良いのにもったいないかなぁ・・・結局朝起きてから蛭ケ岳をピストンすることに、またまた変更した。
『ピストンするならザック置いて行ったら』と言って頂いたが、サブザックの準備もないので、そのまま背負って歩き始めた・・・のだが、昨日にも増して今日は暑くなりそうな雰囲気・・・ということで、体力があるうちに手前の竜ケ馬場(これも山の名前)のあたりで引き返してきてしまった。
再び小屋に立ち寄って挨拶して行こうかと思ったのだが、なんとなく途中で引き返してきたことに気恥ずかしさを感じて、そのまま昨日歩いた道を引き返すことにしたのだった。
(と言うわけで、その3へ続く)
丹沢を縦走(その3) ― 2008年09月09日

(その2から続く)
丹沢山から塔ノ岳の途中で、お坊さんとすれ違い、挨拶を交わした。
歩くスピードはかなり速い。息も乱さず、でも僕の倍くらいのスピードで歩いている感じだ。結局塔ノ岳を過ぎ、大倉尾根を下りる途中で再びそのお坊さんに追い抜かれたのだから、どこまで歩いたのかは知らないけれど(たぶん丹沢山までだと思う)、相当なスピードということになる。
片手に持った錫杖を鳴らしながら、あっという間に見えなくなってしまった。
そう言えば丹沢は山岳修験道の山としても知られている。そもそも丹沢の「丹」の字からして仏教に関わる言葉だし、昨日歩いた表尾根にも「行者岳」とか「新大日」など仏教にまつわる山の名前が付けられている。
大倉尾根を歩いていると、いろんな人から声を掛けられる。
「いやあ、随分早いですね」
仮に始発電車で来て、大倉尾根から塔ノ岳をピストンしたとしても、さすがにこの時間に下山はできない。時間はまだ8時を過ぎたばかり。登りだと4時間近く登りっぱなしの尾根なのだ(早い人でも2時間半は掛るだろう)。普通のスピードなら、陽が出るか出ないかくらいの時間から登り始めなくてはならないことになる。
ちなみにこの大倉尾根、単調な登り一辺倒の尾根だからか、通称この尾根を「馬鹿尾根」というのだそうだ。
ところで、「早いですね」と尋ねられ、「昨日は小屋泊まりでしたから」、そう答えると皆さん安心したような、ホッとしたような顔をするのはなぜ?(笑)
大倉尾根も昨日歩いた表尾根同様、僕にとっては思い入れの深い道だ。今までに何度歩いたことだろう。
登り一辺倒と言うことは、このルートを下りに使うと、当たり前だが、下りっぱなしということになる。
「下りは登りより楽なんでしょう?」と人に訊かれるが、確かに息が切れるようなことは少ないが、実は下りの方が筋肉への負担は大きい。その下りが延々と続くのだから、少々ウンザリもしてくる。
歩きながら、高校時代の部山行で、山頂で完全にバテテしまった後輩の女の子を、皆で交代しながら背負って降りたことを突然思い出した。でも今は逆に誰かに背負ってもらって降りたい気分だったりして(笑)。
ようやく山を降りて舗装路に出た。しばらく歩くとバスターミナルだ。
まだ昼には早い時間だが、朝飯を食べたのが5時半頃だから、かなり腹も減っている。さっそく近くのレストハウスへ入って、生ビールともりそばを注文。一気にジョッキを空にする・・・もしかしたらこの瞬間が楽しみで、僕は山に登っているのかなぁ・・・。
この後は電車を途中下車して、鶴巻温泉の立ち寄り湯「弘法の湯」で汗を流し、再び電車に乗った。
帰りの電車の中。
思いっきりリフレッシュ出来たという気がしている。
「丹沢を今回の目的地にしたのはやっぱり正解だったよなぁ」と、自画自賛したい気分で、そう考えていた。
丹沢山から塔ノ岳の途中で、お坊さんとすれ違い、挨拶を交わした。
歩くスピードはかなり速い。息も乱さず、でも僕の倍くらいのスピードで歩いている感じだ。結局塔ノ岳を過ぎ、大倉尾根を下りる途中で再びそのお坊さんに追い抜かれたのだから、どこまで歩いたのかは知らないけれど(たぶん丹沢山までだと思う)、相当なスピードということになる。
片手に持った錫杖を鳴らしながら、あっという間に見えなくなってしまった。
そう言えば丹沢は山岳修験道の山としても知られている。そもそも丹沢の「丹」の字からして仏教に関わる言葉だし、昨日歩いた表尾根にも「行者岳」とか「新大日」など仏教にまつわる山の名前が付けられている。
大倉尾根を歩いていると、いろんな人から声を掛けられる。
「いやあ、随分早いですね」
仮に始発電車で来て、大倉尾根から塔ノ岳をピストンしたとしても、さすがにこの時間に下山はできない。時間はまだ8時を過ぎたばかり。登りだと4時間近く登りっぱなしの尾根なのだ(早い人でも2時間半は掛るだろう)。普通のスピードなら、陽が出るか出ないかくらいの時間から登り始めなくてはならないことになる。
ちなみにこの大倉尾根、単調な登り一辺倒の尾根だからか、通称この尾根を「馬鹿尾根」というのだそうだ。
ところで、「早いですね」と尋ねられ、「昨日は小屋泊まりでしたから」、そう答えると皆さん安心したような、ホッとしたような顔をするのはなぜ?(笑)
大倉尾根も昨日歩いた表尾根同様、僕にとっては思い入れの深い道だ。今までに何度歩いたことだろう。
登り一辺倒と言うことは、このルートを下りに使うと、当たり前だが、下りっぱなしということになる。
「下りは登りより楽なんでしょう?」と人に訊かれるが、確かに息が切れるようなことは少ないが、実は下りの方が筋肉への負担は大きい。その下りが延々と続くのだから、少々ウンザリもしてくる。
歩きながら、高校時代の部山行で、山頂で完全にバテテしまった後輩の女の子を、皆で交代しながら背負って降りたことを突然思い出した。でも今は逆に誰かに背負ってもらって降りたい気分だったりして(笑)。
ようやく山を降りて舗装路に出た。しばらく歩くとバスターミナルだ。
まだ昼には早い時間だが、朝飯を食べたのが5時半頃だから、かなり腹も減っている。さっそく近くのレストハウスへ入って、生ビールともりそばを注文。一気にジョッキを空にする・・・もしかしたらこの瞬間が楽しみで、僕は山に登っているのかなぁ・・・。
この後は電車を途中下車して、鶴巻温泉の立ち寄り湯「弘法の湯」で汗を流し、再び電車に乗った。
帰りの電車の中。
思いっきりリフレッシュ出来たという気がしている。
「丹沢を今回の目的地にしたのはやっぱり正解だったよなぁ」と、自画自賛したい気分で、そう考えていた。
深夜の満員電車に思うこと ― 2008年09月11日
僕は実家にいた頃、東京まで通勤していたのだが、その通勤時間は片道1時間20分くらい掛った。
首都圏の電車の混雑は朝だけでなく、深夜になればなるほど、終電が近づけば近づくほど混雑し、でもそれが当たり前のように思っていた。いや当たり前と言うのは違うか。「しょうがないんだ」と諦めていたという方が正しいかもしれない。
札幌に移り住んでからは、片道30分程度。地下鉄に乗っている時間はほんの10分程度だ。最初の頃は、その通勤時間の一点だけでも「札幌に来てよかった」と思ったくらいだ。
ただ人って一旦慣れてしまうと、その乗車時間10分でも、時には「遠いなぁ。もっと近い方がよいなぁ」などと考え始めるからオソロシイ。
僕は夏休み。都心で人と会い、酒を飲んだ帰り道。
平日なので世間は普通通りに動いていて、新宿駅のホームは、いつものように人であふれている。
1本急行電車を見送り、2本目の急行電車の列に並んで、ようやく座る席を確保。文庫本を開いて読み始めるが、本には集中できず、ぼんやりとそんなかつての通勤時間のことを思い出していた。
寝不足が続き、手すりにもたれかかる様に立ったまま眠っていたときのこと。膝がカクッと落ちて、瞬間覚醒するのだが、またいつの間にか意識が遠のく。
目一杯利いているはずの冷房も全く用をなさず、湿度は100%に近い状態。首筋を伝う汗を拭きたいと思いつつも、ポケットに手を突っ込んでハンカチを取り出すだけのスペースの余裕もなく、とりあえず次の停車駅まで我慢だなと、イライラを募らせる真夏の雨の日。
なんだか良い思い出はこれっぽっちも思い浮かばず、辛かったり、苦労した思い出ばかりが思い出される。
なのに・・・・なぜか、そんな思い出が「懐かしい」と感じられる不思議さ。同じ状況に戻りたいと思うはずはないのだけどね。
結局、今の環境や状況が良かろうと悪かろうと、それを繰り返し続けることには飽きが来るのだろうなぁ。だから人は変化が欲しくなる。
と、ほんのちょっぴりだけ、そんな哲学的なことも考えたりする。
数年前に比べたら、列車の混み方もだいぶ緩和されたような気がする深夜の列車に揺られながら、酔った頭でそんなことを思っていた。
首都圏の電車の混雑は朝だけでなく、深夜になればなるほど、終電が近づけば近づくほど混雑し、でもそれが当たり前のように思っていた。いや当たり前と言うのは違うか。「しょうがないんだ」と諦めていたという方が正しいかもしれない。
札幌に移り住んでからは、片道30分程度。地下鉄に乗っている時間はほんの10分程度だ。最初の頃は、その通勤時間の一点だけでも「札幌に来てよかった」と思ったくらいだ。
ただ人って一旦慣れてしまうと、その乗車時間10分でも、時には「遠いなぁ。もっと近い方がよいなぁ」などと考え始めるからオソロシイ。
僕は夏休み。都心で人と会い、酒を飲んだ帰り道。
平日なので世間は普通通りに動いていて、新宿駅のホームは、いつものように人であふれている。
1本急行電車を見送り、2本目の急行電車の列に並んで、ようやく座る席を確保。文庫本を開いて読み始めるが、本には集中できず、ぼんやりとそんなかつての通勤時間のことを思い出していた。
寝不足が続き、手すりにもたれかかる様に立ったまま眠っていたときのこと。膝がカクッと落ちて、瞬間覚醒するのだが、またいつの間にか意識が遠のく。
目一杯利いているはずの冷房も全く用をなさず、湿度は100%に近い状態。首筋を伝う汗を拭きたいと思いつつも、ポケットに手を突っ込んでハンカチを取り出すだけのスペースの余裕もなく、とりあえず次の停車駅まで我慢だなと、イライラを募らせる真夏の雨の日。
なんだか良い思い出はこれっぽっちも思い浮かばず、辛かったり、苦労した思い出ばかりが思い出される。
なのに・・・・なぜか、そんな思い出が「懐かしい」と感じられる不思議さ。同じ状況に戻りたいと思うはずはないのだけどね。
結局、今の環境や状況が良かろうと悪かろうと、それを繰り返し続けることには飽きが来るのだろうなぁ。だから人は変化が欲しくなる。
と、ほんのちょっぴりだけ、そんな哲学的なことも考えたりする。
数年前に比べたら、列車の混み方もだいぶ緩和されたような気がする深夜の列車に揺られながら、酔った頭でそんなことを思っていた。
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