お中元の季節2009年06月03日

6月に入り、デパートなどでの「お中元商戦開幕」のニュースが流れていた。僕のところへも、今まで利用したことがあるデパートやスーパーマーケットからの分厚いギフトカタログが、いくつか届いている。
札幌で暮すまではお中元やお歳暮を贈る習慣はなかった。
だが札幌に来て、友人知人や両親兄弟と離れて暮らすようになると北海道の名産品を贈る機会が増え、それに連れて季節の贈り物をするのが定番化した。
北海道の名産品と言っても、全国チェーンのデパートやスーパーのギフトカタログを見ながら贈るのだから北海道にいなくても買ったり贈ったりできるのだから道産品に拘る必要もないのだが、そこはまあ心意気みたいなもの。意識して北海道の名産品をセレクトするようにしている。

さて今までは、いつも店頭まで足を運んで購入をしていた。
「贈り物をしたぞっ」という、あまり意味のない満足感があったからだが、そもそもカタログギフトからセレクトするのであれば、わざわざお店へ行く時間を作る必要はない。
しかも今は各店のホームページを覗けば、お中元用ギフトの特設ページが用意されていて、簡単に購入もでき、しかもちょっとした情報収集とその情報活用をすることで、さらなる割引やポイントを稼ぐこともできる。
「ネットで済ませようかなぁ」・・・今回はそう考え始めている。

僕の子供のころには、"お店に行き、買い物をすること"、これがレジャーの一つだった。なにを買うかではなく、なにも買わずとも、例えばデパートの食堂で昼飯を食べて帰ってくるだけでも立派なレジャーだった時代だ。今の"1マイル族"に代表される世代には、考えられないことかも知れないが。
デパートや家電店などの実店舗の業績は厳しい状況が続き、一方インターネットのショッピングサイトは好調・・・こうしたニュースを見聞きするたびに「時代は変わったのだ」とつくづく思う。
そんなジジイめいた感慨を持つ僕にしても、日用品や急ぎのモノ、あるいはアフターサービスを重視するモノ・・・そうしたモノを除けば、ネットショッピングの利用頻度が高くなっている。
すぐ近くにリアル店舗がある店でも、上に書いたお中元ギフトと同じ理屈でネットショッピングの方にメリットがあるために、わざわざその店のWebサイトから購入することもある。

これからますますこの傾向は高まって行くのかも知れない。
でも平日の客の姿が見えないデパートを目にするたびに、なんだか寂しい気持ちにもなってしまうのだ。
メリットは享受したいし、でもリアル店舗にも頑張って存在感を持ち続けてほしい・・・この矛盾した気持ちが、今僕の中にある。


P.S.
たまたま今読んでいる本が、札幌の老舗百貨店"丸井今井"を題材にしたノンフィクション。この本の感想も、そのうち書くことにしようと思います。

札幌もゴミ収集有料化2009年06月04日

自宅に帰ったら、冊子と黄色いポリ袋がポストに入っていました。
「これ何?」と思いつつ見てみると、「7月からゴミ収集が有料化となり、ゴミの収集ルールが変わる」ことに伴う、そのご連絡でした。
冊子は新たなルールを説明したもので、黄色い袋はゴミ袋のサンプルと言うわけです。
最近は多くの市町村がゴミ収集を有料化しているので、これはやむを無いことでしょう。今や人口190万人を超える札幌市ですから、そのゴミの量も膨大な量でしょうし、その処理コストも相当大きいはずです。
この負担を市民が直接肩代わりすることで、税金をインフラ整備等他へ廻せる予算が生まれるなら、反対する気持ちはありません。

ただ分別ルールが今までと比べてかなり細かくなったことが、個人的にはちょっと大変。
今までだと、例えば紙ゴミも生ゴミも同じ「燃えるゴミ」として出すことができましたが、今度のルールでは書類などの紙と汚れたゴミは別のゴミとして分別し、出す日も別となります。しかも紙ゴミは月に1回だけ・・・僕のように一人暮らしで、その日がたまたま出張や旅行などで留守をしてしまったりすると、翌月までそのゴミを出すことができなくなります(ルールをしっかり守るとしたら・・・もちろん、ちゃんと守りますけど)。
こりゃ結構、ゴミ分別の労力が掛りそう・・・。
まあ札幌の場合、今までがシンプル過ぎたのかも知れません。
僕の実家の町などはルールがもっと細かく、長年暮らしていたというのに未だに僕は把握できていませんから(自慢できるようなことではないですが)。

このゴミ分別の細分化ですが、細分化しても指定どおりに分別が行わずに出されるゴミが多いため、結局収集後の分別が不要とはならず、コスト削減的な観点では意味がない・・・とする説もあります。
実際、結果的にはそうなる可能性もあるでしょう。期待通りに細分化が成功している自治体とそうではない自治体もあるようですし、そもそも分別そのものを諦めて、すべて有料収集とする代わりに無分別としている自治体もあるようです。
でも今回の札幌のルール変更は、コスト云々ではなく、想像ですが意識付け(資源の再利用の意識とかゴミ削減への意識とか)を狙っての思惑の方が大きいのでは?と想像しています。そう考えると、こうした取り組みも理解できます。
こうした分別作業も最初は大変でしょうが、習慣化すれば「大した負担じゃないな」と、思えるようになるのかも知れませんし。

また新ルールは、収集日や細分化だけでなく、今まで「燃えないゴミ」扱いだったゴミが今度は「燃えるゴミ」扱いになるといった、"カテゴリー"の変更もあります。これは慣れないうちは、なんだか迷っちゃいそうですね。無意識にルール違反をしてしまいそうです。
最近の焼却炉は高火力になったこともあり、完全燃焼できるゴミの種類に関しては、燃えるゴミに扱いを変更しているケースもあるようです。

ともあれ、今回の改定で住民側にとっては「負担」と言う観点では色々な部分での負担が増えるのは確か。「従来のままの方が楽だったのに」とか、「どうせなら全部有料にして良いからゴミ無分別にしてくれりゃいいのに」と、僕もまた本音では思う部分もあります。
でもそれを負担とは思わず、ささやかながらでも「エコに貢献しているのだ」という前向きな気持ちで受け止めようと考えています。

スポークが折れていた2009年06月08日

今年もまた自転車通勤を再開したことを、先日このブログの記事にした。
再開してからは、天気の悪い日や客先訪問などでスーツ姿で出社する必要があるとき(普段はカジュアルな服装で仕事をしている)、あるいは帰りに一杯やる予定があるときなどの日以外は、大抵自転車で通勤している。
ダイエットにもなるし、多少なりとも通勤費も浮くし、朝軽い運動をすることで、何やら「シャキッ」とした気分で仕事に入ることもできる。つまりは一石二鳥どころか一石三鳥の効果があるというわけだ。

さてその自転車だが、先週くらいから後輪がフレるようになって来た。
自転車はスポークのテンションで車輪を支え回転させている。で、乗り続けているうちに、このスポークがゆるんだりすることでバランスが崩れ、車輪の回転が軸に対してフレるようになることがある。いわゆるスポーツタイプの自転車はその傾向が高い。
「週末に自転車屋へ行って診てもらおう」
そう思っていたのだが、週末は天気が悪く自転車屋へ行くチャンスがなく、今朝少し早く家を出て、自転車屋に立ち寄ってから仕事に向かおうと考えた。

走り始めてしばらくすると、先週にも増してフレが激しい・・・こりゃ、すぐには治らないかもなぁ・・・そう思いながらさらにしばらく走って信号待ちの時に車輪をじっくり見てみると、なんとスポークが2本折れているじゃないですか!こりゃまともに転がらないはずだ。
自転車屋まではまだ距離があったので、ここから歩いて行くのは辛い。できるだけ(段差を乗り越えるなどの)負担を掛けないようにして自転車をゆっくり走らせて自転車屋に到着。
しばらく時間が掛りそうだったので仕事帰りに受取りに来ることにして、いつもとは路線の違う地下鉄駅へと向かった。

それにしてもスポーク折れてるのに気が付かずに乗っていたとはね。
こりゃ僕の体重を支えきれなかったのかしら?・・・なんてことはないだろうが、思い当たる理由が他にあるわけでもない。
強いて言えば住居の駐輪場、ここの車輪止めの高さが低いので車輪ではなくスポークで車体全体を支える感じになってしまうのだが、一冬の間、負荷が掛った状態になっていたのかも知れない。
何れにしてもシーズンインのときはキチンと点検してから乗ることにしなくては・・・。

<後日談>

結局その日は夕方から雨だったので受け取りに行けず、翌朝再び自転車屋へ寄ってから出勤することにした。
修理代金、2850円・・・せっかく浮かしたつもりの通勤費も、これでほとんどチャラ(と言うか、マイナス)。一石三鳥のつもりが一石二鳥になってしまったというわけ。
スポークを直した後は快適そのもの。以前どおりにスススィーツと車輪が転がってくれて、漕ぐのも楽ちん(当たり前なんだけどね)。

やっぱり"点検と準備"は何にでも重要だということですね。

エルゴノミクス・マウス2009年06月11日

サンワサプライの400-MA011。サンワダイレクトで\3,480で購入
ネット通販でエルゴノミクス・マウスを買った。
エルゴノミクスとは「人間工学」とも訳されるが、人間が使用する上で無理なく、負担なく、扱いやすい形状にしたもので、使用する上でのストレスや疲れを感じさせない、あるいは軽減されたものを指すのだそうだ。
今更言うまでもないことだが、パソコンを使用する上で、マウスは欠くことのできない入力デバイスの一つ。
仕事で一日中パソコンに接している僕の仕事にとっては、マウスの使い勝手は一日の疲れ具合を左右することになる。
・・・と言いながら、実は今まで割と無頓着でいた。

以前からケーブルが邪魔なので、ワイヤレスマウスを使用していたのだが、ノイズのためか時々無反応になることもあり、せっかくワイヤレスになって邪魔なものが無くなったというのに逆にイライラ感を増長させたりもしていた。
そこで最近は、またパソコン付属のマウスに逆戻りして使用していたのだが、付属マウスは"おまけ"であることも多いがこのマウスもその例で、図形などを描くときにはどうもうまい具合にピタッとマウスポインタがポイントできなかったりして、やっぱりイライラ感が募る。
そこで「もっと使いやすいマウスはないだろうか?」と考え、ネット通販のページを覗いていて見つけたのが写真のこのマウスだった。

第一印象は「変なカタチ」。
通常のマウスのカタチを見慣れているせいか、斜めに傾いてしかもかなり大柄の形状に、思ったより違和感を感じたためだ。
でもこの"変なカタチ"にはちゃんと意味があるらしい。
通常のカタチのマウスでは、腕先をねじったようにしてマウスを操作するのだが、このマウスだと自然にマウスを握ることができる。「ペンマウス」と呼ぶらしいが、ちょうど手にペンを持ったような状態でマウスを握り操作することができるのだ。
「でもあまりに操作感が違うと、またイライラするのでは・・・」などと最初は思ったのだが、使って30分もするとすぐに慣れた。
まだ一日程度の使用時間なので、このエルゴノミクス・マウスの効果を実感できてはいないのだが、気分的にもなんだか右手の疲労感が小さいような気はしている。

唐突だが、自転車のハンドルに例えてみよう。
自転車のハンドルで最近多い形状が、MTBやクロスバイクなどに代表されるストレートハンドル。これは操作性が良いので街中や山道などでは便利なのだが、長距離を走る場合には伝統的なドロップハンドルの方が実は疲労感が少ない。
これはドロップハンドルの方が掴めるポイントがたくさんあるので色々なポジションが取れるからということが理由にあげられるが、これはフラットハンドルは両手をひねった状態でハンドルを握ることしかできないが、ドロップハンドルは上側をつかめばストレートと同じ状態で(つまりは腕をひねった状態で)、下側を掴めばマウスで言うところのペンマウスのような状態で握れるため、握りに対して変化が生まれるためのようだ。で、巡航スピードで走るときに一番楽に感じられるのが、ブレーキレバーを親指と人差指の股で上から挟み込むように握ったとき・・・これはまさにペンマウスを握ったときの状態と同じなのだ。
やや僕の理屈にはこじつけの感もあるが、自転車のハンドルもマウスも、つまりは同じように自然に握れた時が一番楽・・・これが言いたかったわけだ。

さてそんなエルゴノミクス・マウス。今はパソコンの使用時間が一番長い仕事場で使用している。
このまましばらく使ってみて特に不満点も出てこなければ、今度は自宅のパソコン用にも、もう一つ購入してみようかと考えている。

初夏を告げる祭りの時2009年06月13日

よさこいソーランの演舞シーン
6月の札幌と言えば、空は澄み渡り、暑すぎず寒すぎずの、まさに"行楽の季節"と言う感じ・・・のはずなのだが、今年はどうも勝手が違う。
半袖で歩くには厳しいような気温の日があったり、その割には蒸し暑さのようなものを感じたりと、まるで梅雨のような感じの日々が続いている。

札幌ではこの時期二つの大きな祭りが続く。一つが"よさこいソーラン祭り"で、もう一つが"北海道神宮例大祭(通称さっぽろ祭り)"だ。
今年はスケジュールが一日だけ被っていて、よさこいソーラン祭りが10日夜から14日夜までの5日間、一方のさっぽろ祭りは14日から16日までの3日間続く。
だが”お祭りウイーク"が始まったというのに、さっぱり天候は夏らしくならない。降ったり止んだりの傘が手放せない日々。
だいぶ以前にどこかの雑誌へ「この祭りが札幌に夏を運んでくるのだ」などと書いたことがあるのだが、今年はまったくそれが当てはまらない。地球規模の気候変動がこうしたローカルな場面にも影響を及ぼしているような気さえする。そう言えば去年も雨が降っていたような記憶が・・・。

例によって飲みに出かけようと思い、大通周辺を通りかかったところでよさこいソーラン祭りの会場の一つに差し掛かった。
どこかのチームが演舞の真っ最中だった。
トータルでの参加人数や参加チーム数、そして観客動員数は以前に比べて格段に増えたことは確かなのだろうが、北海道の地方の小さな町や村からの出場チームは、逆に少なくなってしまったように思える。
規模が拡大し、期間も長くなるに連れ、踊りが洗練され、参加することにコストとためらいが生ずるような状況に変わってしまったようで、無責任な感想ながら少々残念な気がする。
ただこんな感想を持つのは僕だけでなく、最近ではこの祭りの在り方については賛否両論があるようだ。
祭りもまた生き物のような存在だと思っているから、変化するのは当たり前。だから「原点に戻れ!」などと言う考えはないのだが、もっと北海道民老若男女が気軽に参加でき、楽しめる真の北海道の祭りとして、これからも発展していってほしいよなぁ・・・。

そんなことを思いながら力いっぱい踊る踊り子たちにカメラを向ける。
その踊る姿はそんな思いは別にして、見ていて清々しく感じるのは確か。
梅雨空のような札幌の天候に、うんざりした気分を晴らしてくれるような演舞だった。